Subject | 20200621 イエスを恥ずかしく考えてはいけない |
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Content | イエスを恥ずかしく考えてはいけない (マタイの福音書26:69~75) 神は 栄光でおられる その方が この世を愛して、ひとり子を遣わされた その方は御言葉でおられる(ヨハネ1:14) 神が御言葉をこの世に遣わされたときに、 この世は御言葉よりも栄光があるところではなかった(ヨハネ1:10~11) 神の栄光がない、暗いよみであり、(ヨハネ1:5) 呪いを受けた悪魔を閉じ込めたところであり、(ユダ1:6) 恥ずかしいものに刑罰を与える火の池があるところであり、 不義に満ちている地であった(ヨハネ3:19~21) ここに 神の聖なる者が現れた(ヨハネ3:16~17) 天の栄光、いのちの光が遣わされた それゆえ、 御子が来られたのは悪魔の働きを滅ぼすためであった(Ⅰヨハネ3:8) 誰が恥ずかしいのか 天の下にあるこの世が恥ずかしいのか(Ⅰコリント1:18) 神のひとり子の栄光が恥ずかしいのか イエスは裁き主となられた(マタイ10:32~33) 聖霊が働かれる御言葉を恥ずかしく考えてはいけない(マルコ1:12) 〇 イエスを辱めるためにガリラヤ人といった ガリラヤに混血の人が多かったために、卑しく考えた イエスはキリストであって、ガリラヤ人ではない 〇 イエスを大工、ナザレ人といった ナザレは無学で貧しい者が住む町であった イエスは全知全能の御言葉でおられる 〇 イエスを呪って、呪術者として扱った ユダヤ人が最も卑しく考えたのが呪術者であった イエスは真理であり、知識の根本でおられる ※ あなたは天から来られた方を恥ずかしく考えるのか? あなたは無学、貧しさを恥ずかしく考えるのか? あなたは迫害を受ける聖楽教会を恥ずかしく考えるのか? |